第2章 二人で見た同じ夢

□1995年1月24日 7時00分 弁天町公園

マナベは朝の日差しの中で目覚めた。ハムステーキはそのまま冷えて固まっている。
鳩が冷えたハムステーキをついばんでいる。マナベは鳩が消えたあと、残ったハムステーキを食べながら、呟いた。
「変な夢を見たもんだ、どうやら昨日飲んだ焼酎の賞味期限が切れていたらしい」
そう言いながら賞味期限を確認すると、10年前に切れていた。
「酒は腐りにくいとはいえ、あまり古い焼酎を飲むのも考え物だな。わけの解らん夢を見ると仕事に差しつかえるな」
そう言いながら、ビンのそこを持って焼酎とともに回転する。辺りに焼酎のリングが舞い、そして消える。
「スパークリング・コーク・フラッシュ・焼酎添え」
「会社でも行くか、今日から新プロジェクト開始のはず、サワダ課長がそろそろ起きる時間だ」焼酎のビンを背中にぶら下げ歩き出すマナベ。

□1995年1月24日 8時00分 エコール社内

マナベが会社に行くと、誰も出社していない。
「あれ、だれもいないと思ったら今日は日曜日か」
「おはよう、サワダ課長」奥の仮眠室からサワダ課長が出て来る。いつもなら、眠そうな顔で出て来るのだが、今日はやけにすっきりした表情でいつもと何か違う。
「グッドモーニング、ミスターダニー」
「どうした、サワダ課長、今日はやけに早起きじゃないか」
「サワダ課長じゃありません、グレッグです。マルマラ国の傭兵で現在ヘリに追われて敗走中、ふと立ち寄った洞窟でメラニートにあって、クリムゾンを持ち逃げした越前を探さないと1年でクリムゾンに精神をのっとられた越前に殺される運命のグレッグです」
「俺は神も悪魔も妖精も妖怪も信じない人間だが、サワダ課長の言ったことは聞き捨てならん。詳しく話を聞こうじゃないか」サワダ課長にそう声を掛ける。
「えちぜーん、どこに行った、早く出て来い」
そう言いながら、会社のロッカーや引き出しを開けて大声で呼び掛けるサワダ課長。
「サワダ課長、しっかりしろ、あさってはボーナスの日じゃないか。ここでおかしくなってどうするんだぁ、せめてあさってまではしっかりしろぉ」
錯乱気味のマナベは何を思ったか有線放送のスイッチを入れる。
「ラジオ体操第1、よーい」の声とともに、軽やかなリズムが始まる。
「越前、どこだぁ、いち・にー・さん・しー」いつもの癖でラジオ体操をしながら越前の行方を捜すサワダ課長に思わず笑い出したマナベ。
「要点を整理するぞ、俺とサワダはどうやら昨晩同じ夢を見たらしい。と言うことはあの夢は真実である可能性が高い」
「と言うことは1年以内に越前を探し出さないと、俺とサワダはクリムゾンの影響を受けた越前に殺されるらしい」
ホワイトボードに、箇条書きにしながら考えをまとめるマナベ。
「いまはサワダ課長はラジオ体操をやっているからいいが、これが終わったらまた錯乱して社内を歩き回るはず。今日は日曜日だからいいとして、この光景を出島設計事務所のクライアントとか、うちの社員とかが見たら、めんどうなことになると思われる」
「要するにラジオ体操が終わる前にサワダ課長を正気に戻す方法を思いつかなければ困ると言うことだ」
「高速思考モードに切り替え、エネルギー充填開始」
そう言いながら、マナベは冷蔵庫から豆乳ドリンクを取り出し、一気に飲み干した。
「解決法、発見」そう言いながらマナベは机の上に昨日から置かれたままの、サワダが友ヶ島から持ち帰って来た蒼い銃をサワダに向けて発射した。
「カチャ」と軽い音がした。ラジオ体操がちょうど終わる。
「おはようございます、マナベ社長」にこやかにサワダ課長が声を掛ける。
「おはよう、サワダ課長。どうやら正常な状態に戻ったみたいだな、よかった」
「ご心配をおかけしました。気分はいたって爽快です」
「こう言うこともあろうかと、豆乳ドリンクを用意しておいてよかった。もしアレが切れていたら、こんなにはやく解決法を見つけられなかっただろう」
「いやぁ、よかったですねぇ、じゃあ、豆乳ドリンクの力で、我々を殺しに来る越前の発見方法でも考えましょうか」
「そういえば、その問題が残っていたな、すっかり忘れていた。現状、サワダ課長とグレッグの関係はどんな様子だ」
「ちょっと前までは、僕の主体はグレッグでしたが、今はサワダです。グレッグは―――あれ、どこに行ったんでしょうね」
「サワダ課長、昨日の夜は何を食べた」高速思考続行中のマナベがふと気になってサワダに聞いた。
「焼きビーフンです」
「昨日の夢を説明してもらおうか」
「はい、僕が夕食に焼きビーフンを食べていると、突然光に包まれて息苦しくなりその場に倒れました。夢の中で、僕が焼きビーフンを食べていると越前がやって来て、何だ、その食べ物はぁと言うから、焼きビーフンと言う食べ物だと教えてやりました。越前が欲しがったので、半分与えると、最初は恐る恐る食べていた越前は、これは美味いを連発しながら一気に焼きビーフンを食べました、その瞬間です。ヘリの音とともに空爆が始まり、3人で逃げました」
「どうやら、俺のみた夢とは出だしだけが違っているな、それ以外は全く同じ夢」
「要点を整理するぞ、越前は昨日の夜焼きビーフンが好物になった」
「俺は、ダニーはハムステーキを食べていたが、グレッグは焼きビーフンを食べていた。その部分以外は全く同じ夢」
「ハムステーキと焼きビーフンの違いってなんなんでしょうか」
「俺にも解らん、ただ、越前を探すとともに、焼きビーフンの謎を解ねばならん。なぜなら、越前はハムステーキには全く興味を示さず、焼きビーフンには過剰に反応した。そこに、越前を探すヒントがあるに違いない」
「なるほど、そうですね。キーワードは焼きビーフン、これで行きましょう」


□1995年1月24日 9時00分 山深い屋敷

樹木の緑が眩しい奥深い山に建つ屋敷の一角。
「お目覚めですか、ご主人様」メイドが声を掛ける。
「ああ、昨日はおかしな夢を見た。日本に昔からある食べ物、焼きビーフンが急に食べたくなって、戦場を駆け巡る夢だ。いや、戦場を駆け巡っていたから焼きビーフンが食べたくなったのかもしれない」
「ご主人様は焼きビーフンが好物なのですね。よかったら朝食にご用意しましょうか」
「ああ、宜しく頼む」

「夢で食べた焼きビーフンは、実のところそんなに美味かったわけではない。どちらかと言うと油でべたべたした気持ち悪い食べ物だった。だが、何か気になることがあって全部食べてしまった。その後、運命の銃を見つけた。運命の銃を見つけられたのは焼きビーフンのおかげかもしれない」そう言いながら傭兵時代の戦場を駆け巡った思い出にふけっているとメイドが声を掛ける。

「ご主人様、焼きビーフンが出来ました。お口に合うかどうか心配ですが」
「ありがとう、いい匂いがしているし、夢の中で食べたものとは違うようだ」そう言いながら焼きビーフンを食べ始める。
「油っぽく無いし、さらっとして、なんか素麺を上品に温めたような不思議な食べ物だ。間違いなく美味い」
「ありがとうございます。あれから書庫に行って書物を探して、焼きビーフンの作り方を調べて来ました。世間に普通に広まっている焼きビーフンはアレンジしたもの、元々は質素で上品なのが焼きビーフンの魅力です。本にはそう書いてありました」
「船の書庫に行ったんだね。私はもう長いこと行ったことは無いが」
「ご主人様がお出かけになっている時は、出来るだけご主人様のことを理解したくて、書庫で過ごすことにしています。だからご主人様のこともだいぶ理解出来るようになりました。今日はもうすぐお出かけですね」
「そのつもりだったが、今日はここにいることにしよう。焼きビーフンがあまりに美味かったからな」


□1995年1月24日 11時00分 心斎橋

「あれが、有名な焼きビーフンの店、心斎橋の春菜亭です。すでに朝の10時なのに行列が出来ているでしょう。一日500食限定だそうですが、2時頃には売切れてしまう有名店です」
「よし、では行列に並びながら越前らしき男を捜すことにしよう。あの日以来、越前は焼きビーフンが大好物になった。必ず最高の焼きビーフンを探してあちこちを回っているに違いない。ならば、有名店の春菜亭に現われるはずだ」
「そうですね、しかし越前はどんな格好で現われると思いますか、まさか迷彩服で現われたりはしないと思いますが、どうやって見分けます」
「ふーむ、それらしい男のそばに行って、勝手に洞窟から持ち出しちゃだめじゃないかと呟いてみよう。もし越前だったら何らかの反応をするだろう。我々のアドバンテージは、越前は、ダニーとグレッグの意識の融合先が我々だとまだ解っていない事だ。ちょうど我々が越前の融合先をまだ知らないようにな。だから、この作戦は有効なはずだ」
「いきなり刺されたりしたらどうします、相手は傭兵ですよ。ずっと会社にこもってコンピュータを触っていた我々とは体力が違います」
「それは大きな勘違いだよ、サワダ課長。我々にもダニーとグレッグと言う傭兵の力が眠っているかもしれないが実際は普通のコンピュータ技術者、ならば、越前も融合先はただの薬売りのオヤジかもしれないし、もしかしたら女子校生かもしれない」
「だったら、探し出すのは相当難しいですね」
「だから、そばに行って声を掛けてみるんだ、さっそくあそこにいる体格のいい青年に声を掛けてみよう」

「勝手に洞窟からアレを持ち出しちゃだめじゃないか」マナベがそばで呟く。
「なんだと、俺の勝手だろう、いちいち見知らぬお前らに指図される覚えは無い、お前らずっと俺を付け回して来たのか、もしかして警察のやつか、それとも漁協のやつか、いずれにせよ、俺はたまたま拾っただけだ。大体他のやつらももっとたくさん同じことをやってるだろう、なんで俺だけに文句をつけるんだ、ゴルァ」
「どうも、話が通じないが、クリムゾンはあちこちに存在していたのか」
「あぁん、なんだと、話が通じないのはお前らの方だろう、大体、海水浴場の洞窟でアワビを取って帰ったっていいじゃないか、みんなやってるんだし」
「どうやら、勘違いみたいですね。すいません、我々はアワビじゃなくて狂気の銃を探しているので、どうやら人違いだったみたいです、すいません」
「解ればいいんだ、解れば」急に機嫌が直る青年。そそくさと立ち去る2人。

「どうも、越前はこの店には来ていないらしい。他の店を回ってみよう。だが、この方法はなんだか上手く行かない気がする。あと5店舗くらい回って、ダメなら他の方法を考えよう」

街を歩き回り、疲れ果てたマナベとサワダが休息をとる。
「やっぱり、やみくもに焼きビーフンの店を回っても全く収穫がなかったな」
「回る前から上手く行かないことはおよそ予想していましたが、無駄と解っていてもやらなければならないこともありますし、それはそれで有意義な一日だと思います」
「しかし、完全に振り出しに戻ってしまった。一体どうしたものか―――」
「そうですね、ムムム」


□1995年1月25日 10時00分 エコール社内

「だいぶお困りのようですね、お二人さん」経理担当の赤阪専務が声を掛ける。
「ああ、赤阪シェンムー、困ってるとか困っていないとかのレベルじゃないんだ。その、なんと言うか、白いワニとピンクのワニが手を繋いで今日は天気がいいから遠足に行きたいとぶつぶつ言いながら枕元をグルグル回っているくらいなんだ。なんとか知恵を貸してくれ」
「ゲームでも作ればぁ、思いっきり面白いやつ。ほらぁ、矢野君が仕事中によくやってるやつ。二人がみた夢をゲームにして大ヒットさせるときっと越前も居心地が悪くなってクリムゾンに完全に支配される前にあなたたちを殺しに来るわ。その時にエイっと、得意の空手でやっつけるわけ」
「ふーーーーーーーーーーん、なるほどね、なるほどだ、なるほど、それも一理ある」
「マナベ社長、それいいですね、グッドアイディアです、赤阪シェンムー」
「その、赤阪シェンムーと言うのは止めてくれるぅ、いきなり縁起悪いでしょう。これからゲーム作って大ヒットさせようとしているのに、企画が壮大すぎて収拾とれなくてコケてしまうって感じの呼び方は自粛して下さいね」
「誤解の無いように言っておくが、俺が習ったことがあるのは空手じゃなくて空手道、よく誤解を受けるんだが、実戦なしの形だけ決める方のアレだからな。これだからシロートは困るんだ」とぶつぶつ呟くマナベ社長。
「そろそろ、CADの仕事も退屈していたところだし、ゲーム制作いいですねぇ、おもしろそうだし、やってみましょう」
「そうだそうだ、そうしよう、今日からエコールはゲーム制作会社に転身することにする」マナベが叫ぶと、いつの間にか周囲には矢野主任をはじめとして社員が集まっていた。
「異議なーし」
「異議なし」
「異議なし」
口々に叫びながら両手を突き出して喜ぶ社員。

「これで、社長がいる時もゲーム出来ますね。矢野主任」
「ついでに、麻雀も出来るかも、ゲームつながりでね」と喜ぶ矢野主任。
「会社でフィギアとか集めてもいいんですね。ポスター貼ったりマグカップ集めたりしてもいいんですね」そう言いながら、社員たちは嬉しそうに席に戻った。

「みんな、ゲームが好きなんだな、よかったよかった」満足そうに微笑むマナベ。
「でも、ゲームってどうやって作るんでしょうね、全く想像がつきません」と急に心配そうになるサワダ課長。
「それもそうだな、ゲームを買って来るならゲームショップに行って買ってくればいいが、作るとなるとどうするんだろう、ゲームショップで聞いてみようか」
「それより、矢野主任に聞いた方がいいと思うよ。彼はゲーム大好きだし、仕事中も社長の目を盗んでゲーム―――」赤阪専務が言い掛けた言葉を飲み込むがマナベは気がつかなかったらしい。
「じゃあ、さっそく矢野主任を呼んでくれ」
「もう来てます」
「妙に段取りがいいな、矢野主任、ゲームってどうやって作ったらいいんだ」
「それはですね、がっぷ獅子丸先生の本によりますと、まずゲーム専門学校とかに行って基本を勉強して、それからどこかの会社にテストプレイヤーとして潜り込んで、そこでステップアップしながら正社員になって独立の機会をうかがい、その会社が経営危機で揉めかかった時に同僚とかに声を掛けて集団で離脱して独立、その際にプログラムとか企画書とかを一緒に持ち出してゲーム会社を作ると上手く行くようです」
「だれが、裸一貫から立身出世する話をしろと言った。そう言う胡散臭い本に頼らなくていい、もっと創業10年、設立7年、CAD界では少しだけ名前がしれたエコールらしい、媚びず流されず威風堂々とした中央強行突破の道を教えてくれ」
「それなら、堂々とソニーかセガか任天堂に乗り込んで、ゲーム作りたいって言ったらいいんじゃないですか」なかば投げやりに矢野主任が答える。
「そうか、その手があったか、いいことを教えてくれた。席に戻っていいよ」

「赤阪専務、サワダ課長、方針は決まった。だが、最初にどこに行くかだな、ソニー、セガ、任天堂。よく解らないが、最初にどの会社に乗り込むかでこれからの運命が大きく変わるような気がする。いわゆる、今が分岐ポイントで選択を間違えるとフラグが立ってバッドエンディングになって、一瞬でゲームオーバー」
「マナベ社長、なんか妙に専門用語っぽいですね。社長って意外にゲーム詳しかったりして」
「実は、高橋名人や服部名人が活躍していた頃、よくゲームをやってたんだ。いわゆるインベーダー世代。だが、ファミコンになって家でゲームが出来るようになると急にやる気がしなくなってな。あのゲーセンの独特の雰囲気、知ってるか」
「ゲーセンは環境が悪いから行きません」
「そうだ、あの独特の雰囲気。なんと言うか、堕落したと言うか退廃したと言うか、タバコとトイレの臭いが混じった薄暗いなかで、男たちがもくもくとテーブルゲーム機に張り付いて百円玉を次々消費して行く、あれが大好きでなぁ」

「とにかく、俺は今からゲーム機を作っている会社に話しに行く」
「そういえば、任天堂は敷居が高いと言うのを聞いたことがあります。絶対王者、一人勝ちの任天堂ですから、全く相手にされない予感が」矢野主任が呟く。
「そうか、任天堂は最後にしよう。京都に行くのは電車だし、飛行機で東京に行く方が手っ取り早い」
「だったら、最初にセガに行った方がいいんじゃないですか、セガは羽田空港のそばにあるらしいですよ。がっぷ獅子丸先生の本によると、セガに行くことを業界の人は羽田の方に行くって言うそうですよ」相変わらずゲーム業界のことには詳しい矢野主任。
「じゃあ、最初に行くのはセガに決定。早速アポイントを取ろう。セガの代表電話は、このファミ通に乗ってるこれか―――」
「もしもし、エコールですがゲーム作りたいんですけど―――」いきなり代表電話で用件を言うマナベ。
「強引ですね、社長は。そんなんで上手く行くんですかねぇ」矢野主任が心配そうに赤阪専務に声を掛ける。
「はい、はい、解りました―――では後ほど、ガチャ」
「セガに電話したら、15時に来てくれって、今が11時だからすぐ飛行機に乗れば間に合うかな、なんせ、羽田空港からすぐらしい。じゃあ、ちょっくら行ってくらぁ」そう言いながら、そそくさと出て行くマナベ。
「なんか急な展開ですね。セガの人って暇なんですかねぇ、いきなり電話してすぐ会ってくれるなんて、それとも、行ったら、20人くらい行列が出来ていて4時間とか待たされて、申請書とか書かされて、試験とかあって、そのうちにうちの社長は気が短いから怒って帰って来るなんて話にならないですかねぇ」日ごろは楽天的なのにゲームの話になると急に悲観主義になる矢野主任。
「大丈夫、風水的にはこの会社の命運は尽きて無いわ。きっと上手く行くわよ」